2024.03.12
SCENTMATIC株式会社 代表取締役
栗栖 俊治 氏
「豊かな暮らしとは何か」という問いがSCENTMATIC株式会社(以下、セントマティック社)立ち上げの原点だったと代表取締役の栗栖俊治氏は振り返る。栗栖氏が目指すのは、豊かさを創り出すこと。中でも特に注目しているのが香りと言葉の融合がもたらす豊かさだ。
例えば、美術館で1枚の絵画を前にしたとき、何らかの情動の揺れ動きが起こる。私たちはそれを楽しむ訳だが、その心の動きは曖昧でなかなか表現しにくいという人は多いのではないだろうか。絵画に言葉を融合させることで曖昧さを削ぎ落とし、わかりやすくした体験は、日本で1930年代頃にフォーマット化されて今や世界中で愛されている文化にもなっている。それは漫画だ。「漫画を読んだ時の体感と絵画を鑑賞した時の体感って、全然違いますよね。漫画にセリフがなかったら、キャラクターの表情に含まれている意味が曖昧になってしまう。絵と言葉がセットになっているからこそ、伝わってくる情動というのがすごく増強されていると思うんです」と栗栖氏は話す。同様に、聴覚領域での類似例としては歌が挙げられる。音楽に歌詞がついたことによって、作品に対する共感がより強まって、情動を強く刺激する“泣ける曲”といったものが生まれる。「つまり、言葉には五感がもたらす体験、体感を増幅させる力があるのではないかと思うのです」。
そこで栗栖氏は、嗅覚の領域にも言葉を融合させることで新たな、そしてより豊かな体験を生みだすことができると考えた。それを社会に実装するためセントマティック社では、香りと言葉の融合体験を提供するAIシステムを通じて、消費者の感性データを収集し、 事業的価値を生み出す挑戦をしている。栗栖氏らが手がけるこのAIシステム「 KAORIUM 」は、様々な言葉で香りを表現し、逆に特定の言葉を指定してその要素を含む香りのリストを提示することが可能だ。「例えばローズゼラニウムというアロマに対して僕はスッキリ感を感じるんですけれども、それを苦いと表現する人もいます」。このように香りの感じ方には多様性がある。そこで、人それぞれの香りの感じ方の違いに着 眼し、一般消費者や香りのプロといった人々が実際にどう感じたのかという生のデータを膨大な言語表現を学習したAIシステムに流し込み、一つの香りを多元的に、様々な言葉で表現できるようにした。このシステムを利用したコンセプトモデルを開発し、実際にフレグランスの販売店舗に導入したところ、KAORIUMの体験を通して香りを選ぶ過程を楽しむことができたという声が多く得られ、結果として買い上げ率も向上した。「これらの実証的な取り組みを通じてはっきりしてきたことは、香りの選択は難しく、消費者の課題であったということです」。言語化によって香りの感じ方が分かりやすくなり、自分の好みへの理解が進んだことで、製品を選ぶ判断軸を持つことができるようになったのだ。
図) KAORIUM体験の様子。
香りの印象を表現した言葉を選ぶと、関連するフレグランスを提示してくれる。
これらの取り組みはフレグランスだけでなく、様々な事業展開に応用可能だ。セントマティック社ではフレグランス向けのコンセプトモデルを日本酒に適用した「KAORIUM for sake」をすでにリリースしている。KAORIUMを導入することで日本酒の味わいについてより具体的に表現することが可能になり、消費 者の好みや感じている言葉をデータとして収集することができる。このデータを分析すると、異なる嗜好のグループが見えてくる。消費者がどのようなお酒を探しているのかが明らかになるので、各グループの好みを仕入れる商品やその展示方法に反映できるのだ。KAORIUMを導入したある店舗では日本酒の売り上げが27%上昇し、ペアリングした商品は通常の3倍の売上となった。
「暮らしが豊かとか、人生が豊かとはどういうことかと突き詰めて考えていったときに、嬉しい、楽しい、気持ちいい、といったポジティブな気持ちがたくさんある状態だと僕は定義することにしました。そして利便性を向上させるだけでは、決して豊かにはならないと感じたのです」とセントマティック社創立時の思いを話してくれた栗栖氏。消費者の感性に対応してより豊かな気持ちを生む体験を提供するために、KAORIUMでは選択する言葉のレイヤーを複数提供している。嗅覚の個人差は遺伝的な差異や個人の経験、記憶によってもたらされる。情景に例える方がイメージと結びつきやすい人もいれば、食材に例える方がイメージがわく人もいるという。人々の嗅覚に関するデータと言語との関係性を今後より一層追求していくことで、さらなる超感覚体験が生み出されることを期待したい。