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TECHNOLOGY

橋田規子教授にインタビュー
ー感性とものを繋ぐプロダクトデザイン

2024.09.19

 今回は「Emotional Design」をコンセプトに掲げ、芝浦工業大学でエモーショナルデザインを研究している橋田規子教授に、感性とものを繋ぐものづくりの視点についてDICの新事業統括本部事業企画部の感性事業担当である吉次・金子が伺いました。

吉次)DICはこれまで印刷インキまたはその原料となる有機顔料や合成樹脂を軸とした事業で成長した会社ですが、市場環境の変化に伴い新たな事業ポートフォリオの確立が必要とされています。現在、DIC五感と感性の研究所では化学領域に留まらない価値の創出に向け様々な取り組みを行っています。その中で私たちは人の五感と感性を解き明かし、人と地球の調和に繋がる事業創出を目指しています。

 世の中には多くのものが溢れています。また、先が明確ではないこの変化の激しい時代には、従来のロジック思考や分析だけでは限度があります。更に現状の改良、改善だけでは新たな価値をスピーディに生み出すことができないと感じています。特に人の感覚や感情といったエモーショナルな部分を理解するためには、エンジニアリングの視点だけでなく、デザイン思考的なアプローチも必要としています。当社の強みである色、素材をデザインとの融合によって社会の中にある課題を発見しながらソリューションを提案し、具体的な形にしていくことで、人の繊細な感性に寄り添う事業を創出できればと考えています。

 人のあいまいな感覚を多角的に分析し、機能として使えるだけでなく、どうしたら人がプロダクトやサービスを魅力として感じていただけるか私も含め多くの人が向き合っているかと思います。そこで、機能性だけでなく、見た目や心地よさなどの感性工学的な研究をされている橋田先生にインタビューを行い、これまでのキャリアやエモーショナルデザインのコンセプトについてお伺いしたいと思います。

吉次)これまでの経歴を簡単に教えてください。そもそもなぜ橋田先生はエモーショナルデザインの研究を始められたのですか?

橋田教授)東京芸術大学を卒業後、TOTO株式会社(当時東陶機器株式会社)にて工業デザインを担当しており、20年ほど勤めていました。その後、芝浦工業大学のデザイン工学部が設立されたタイミングで教員公募に応募して採用されて今に至ります。

吉次)TOTOではデザイナーとして活躍されてきたと思いますが、デザイナーから研究者へと方向転換したのはなぜでしょうか?

橋田教授)企業にいると仕事を重ねるにつれて管理職になっていき、デザインをするというよりは部下のデザイナーの育成や取りまとめをしなければならなくなりましたが、やはり自分でデザインをしたいという思いがありました。また、企業にいると次から次へとプロジェクトが動くため、「なぜこの商品は売れてあの商品は売れなかったのか?」等の検証をする時間がないのが引っかかっていました。そんな時に、非常勤講師をやっていた芝浦工業大学の教授からデザイン工学部が設立されるから応募してみないか、とお声がけいただきました。

吉次)企業のデザイナーとしての活動と大学の研究者としての活動にギャップはありましたか?

橋田教授)企業でデザインする際には、商品デザインのために感性工学などを一から調査・研究するという時間はありません。その点、大学であれば時間的な余裕があります。ただ、研究結果を世の中に活用してもらわなければ宝の持ち腐れです。最近は企業側も感性工学を重要視し始めているため、研究スピードと企業のニーズの足並みを揃えることが大事だと考えています。

吉次)確かに最近ではビジネスにおいて人間中心設計の考えを取り入れた製品・サービス開発が進んでおり、感性工学と人間工学がより重要視される世の中になってきたよう感じます。また、AIの時代でも人の感覚から生まれる発想が今後のものづくりに活かされていくことを楽しみにしています。

エモーショナルデザインとは?

吉次)次にエモーショナルデザインの背景やコンセプトを教えてください。

橋田教授)D.A.ノーマン著作の「誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論」で、今までは「正しいデザインが良いものだ」と言われていたのに対し、人間は正しいだけでなくて心がワクワクしないと人生が豊かにならない、すなわち、心を動かすーエモーショナルなデザインにすることで人生が豊かになる、と説いていました。ノーマン氏の言葉に感銘を受けて、エモーショナルデザインを研究したいと思いました。

吉次)デザインに感情を入れて人を魅了することは素晴らしいですね。橋田先生が考えるデザインの役割や重要性を教えてください。

橋田教授)一般的に、デザインというのは視覚情報が最も影響を受けます。すなわち商品の顔を作るということがデザインの大きな役割です。①第一印象で人から興味を持ってもらい、近寄らせて触ってもらう、②使ってみてもらう、③ずっと持ち続けてもらうことで満足感や愛着を感じてもらう、といった3段階に跨って重要な役割になるのがエモーショナルデザインだと考えています。先ほども言ったようにデザインは視覚情報が大事になるため、エモーショナルデザインは形・色・素材が重要な位置を占めると思います。

吉次)愛着を感じて長く使用するものは確かに形・色・素材等が自分の好みであれば良い印象を受けます。橋田先生は、デザインの中でなぜ“エモーショナルデザイン”を研究されているのでしょうか?

橋田教授)私が決めたエモーショナルデザインの定義は「人の心に訴える魅力的なデザインとその手法」です。デザインをする上で感性工学は重要で、人の感性を確認してから、形・色・素材に落としていきます。ただ、実際に使用することも考慮すると人間工学・審美学も併せ持って考えないと本当にいいものにはならないと考えていて、全てを統合したものがエモーショナルデザインだと考えています。

吉次)今は具体的にどのように実践しているのでしょうか?

橋田教授)昔はデザイナーが自分の感性でデザインしていましたが、今は市場にいる人がどう感じているかのエビデンスを踏まえた上でのデザインをします。世の中は豊富にものがあふれているため、検討していく分野を決めた上で、今あるものに対してどのように感じているか?等の調査を感性工学的に行います。基本的には多くの人に感性評価アンケート調査を行うことから始め、その平均値を使って、多変量解析を使って分析します。対象分野に対する人々の感情的な捉え方を俯瞰的にとらえる主成分分析や感情因子を探る因子分析等を行います。また、好みなどを左右する要素や部位を細かく探る数量化理論Ⅰ類など様々な手法があります。しかし、その結果を見たらすぐにデザインができる訳ではありません。これらにプラスして使いやすさ等の人間工学的な部分や美しさ・新しさ等もエモーショナルに影響します。感性工学・人間工学・審美学の3つをまとめていいデザインを作っていくのがエモーショナルデザインだと考えています。

吉次)我々素材メーカーも顧客に新しい価値を提供していくために、今まで以上に多方面から物事を捉え、アイデアを出すことが重要だと考えています。これからは、従来のビジネスや成功体験に縛られない柔軟な発想が必要になっていくのかと思います。

金子)今までにない、他社にもないワクワクしたものを作りたいと思っているのですが、感性工学的に考える際の属性の切り方や意識すべきポイントなどコツがあるのでしょうか?

橋田教授)最初に行う感性評価をする際の「評価ワード」が重要です。評価ワード出しは、評価する分野の写真を見ながら言葉だしを行うラダリングということをしますが、若者を主体とする物品の場合は若者言葉をそのまま評価用語に採用するのも一つの手です。「ださかわいい」等、時流をリアルに反映した言葉は評価に使うと面白い結果が出たりします。

 後は自分の思い込みを捨てることが重要です。デザインを学んできて自分が感じることは同じように他の人もそう感じでいると思っていましたが、大学に入って研究してみると、一般の人と自分の感性が一緒ではないことを痛感したことがあり、ちゃんと調べることの重要性がわかりました。

機能性だけでない心地よさや愛着を提供するプロダクトとは

吉次)今までは“買って捨てる文化”だったと思うのですが、最近は“いいものをずっと持ち続ける、愛着を大事にする文化”に変化しつつあると思います。「なぜか捨てられない」等を引き起こす“愛着”について、橋田先生はどう思われますか? 今までは製品の寿命を素材の寿命と考える傾向がありましたが、これからは人の生活を豊かにし愛着が生まれるものを提供していきたいと考えています。

橋田教授)持ち続けることにより、自分の一部として「無くてはならない」と感じることが“愛着”だと考えます。企業は自社品をずっと使ってほしい、リピーターになって愛着を持ってほしいため、サブスク等を含む様々なサービスを提供しています。

 ただ、世代によっても違うと思います。若い世代の方はシェアリング世代でありセカンドハンドに抵抗のない世代なので比較的どんどん新しいものに変えていく柔軟性があります。

 実は現在、愛着の研究も行っているので成果があったら報告したいと思います。

吉次)ぜひ、次回は愛着の研究に関してお話を伺えたらと思います。今後の研究成果が楽しみです。

吉次)近年では、人々は機能・スペックよりも、商品・サービスがもたらす体験や意味的価値を重視するようになっていますが、橋田先生はどのような視点での考察・分析を行っていますか?

橋田教授)体験価値を提供するデザインはUX(ユーザーエクスペリエンス)デザインと言いますが、調査のためにアンケート調査を実施することが多いですね。他にはインタビューなども実施します。消費者自身にものとの関係性について、時系列的に感情の上がり下がりを記録していく、ジャーニーマップという方法で調査することもあります。アンケート調査と違って手間もかかるし数も集められないですが、深い情報を得ることができます。

吉次)アンケート調査だけでなく消費者と人の感情を可視化しているのですね。当社でもSD法によるアンケート調査や官能評価で得た感性データの評価・分析を行いながら人の感情や考えを理解しようとしています。

 最近、ビジネスにおける思考法としてアート思考が注目されているため、アート思考法を用いることで製品やサービスが顧客の感情に訴えかけ、新しいアイデアを生み出すことが出来るかもしれないです。

橋田教授)最近、学生や周りの人を見ると、持っているものに使用する色・素材については体にいいものや自然素材のもの、また環境にいいものが好まれる傾向にあります。そのように感じるものは何だろう?という視点で素材を集めていくとおのずと好まれる素材の傾向が導かれると思います。

 使い込んでも変わらないのが人工物ですが、それに対して使い込めば使い込むほど自分っぽさが出て味が出てくるような、自然な変化を楽しめる木・革等の素材は今後求められると思います。自然素材はエモーショナルデザインをしていく上で大きなポイントだと思っています。人工物だけれど、美しく経年変化をするものがあればすごく良いのではないでしょうか。

吉次)質の高いデザイン、つまりQOL上げるようなデザインのことだと思うのですが、素材メーカーとして質の良さ、機能的なデザインに貢献するためのアドバイス等ありますか?

橋田教授)日本人はチャレンジ的な強い色をあまり使わない傾向にあります。ただ、デザインにおいて色の効果は重要です。私も形が好きなので形に影響しないように薄い色ばかりを使ってしまうのですが、色は賢く使うべきだと思いますし、QOLを上げるには色を使う生活をしていった方がいいと思います。

吉次)なるほど。色ってQOLにとって重要なポイントですよね。自分を快適にしてくれるアイテムが好きな色だとすると気分が良くなります。これからは作る側と使う側、そして研究者も一緒になって取り組んでいければと思います。

デザインの変化・デザイナーの在り方

吉次)時代によるデザイナーの変化や、現在デザインに求められているものを教えていただけますか?

橋田教授)製品の寸法等のスペックやターゲットから形・色・素材を決める、というのは昔も今も変わりません。しかし、現在は世の中にものが溢れているため、似たようなものを作っても勝算がない場合や資源の無駄使いになる場合があります。そのため、現在のデザイナーは依頼者とコミュニケーションを取り、「なぜこれを作るのか?」を確認していきます。その上で、ものを作るのではなく、サービスを提供するといった方向に転換することもあります。“もの”ではなく“こと”を作っていくのもデザイナーの新しい役割です。例えば「リサイクル素材をどのように普及させていくか?」等の用途開発もデザイナーの仕事だと思います。今のデザイナーは綺麗な造形ができるだけでは務まらなくなってきて、多岐にわたる知識を持っていないとできない立場に変化してきました。

吉次)デザイナーは「なぜこれを作るのか?」という問いを依頼者と共に詰めながら始めているのですね。本質的な視点で物事を見ていくことはとても大切だと思います。

橋田教授)例えば、リサイクルのことまで考えた、分解しやすい製品にする場合は、はじめの設計段階から設計者とデザイナーがコミュニケーションしないといけないですね。

吉次)我々素材メーカーもブランドオーナーにただ素材を渡すだけではなく、「なぜこの素材を探しているのか?」と問いを立てることから一緒に詰めていくと素材の可能性をもっと広げることができるかもしれないです。

橋田教授にとって調和の定義とは?

吉次)当社では五感と感性を解き明かし、人と地球の調和に繋がる事業創出を目指しています。橋田先生にとっての調和の定義を教えていただけますか。

橋田教授)「バランスが取れて心地よいこと」を指すと思います。地球規模で考えると、人間が自然破壊をして人工物を作りすぎています。これまで“崩してきた”人類は元に戻す使命があります。そういった背景のもと、環境に配慮したものづくりをしなければならないと感じています。

 自然とバランスをとるといっても、自然の中で暮らしていくという意味ではありません。安全で清潔に暮らせる環境をキープしつつも、自然は壊さないように住まう努力が必要です。

吉次)ものが溢れた現代社会において、人々が魅力に感じるものとは何でしょうか?機能だけでなく、形・色・素材等から受け取る人の感情についてもエビデンスが重要になると考えています。そこを深く研究している橋田先生のご意見を聞かせてください。

橋田教授)高度成長期では、作る・売る・儲けるといった流れでどんどんものづくりをしてきたのですが、中には適当なデザインのいらないものもたくさん作っていました。今でも何も考えずにとりあえず作る、という文化が受け継がれてしまった部分もあるため、今後は適材適所の形・色・素材を発信していけたらいいと思います。但し、エビデンスなしで発信しても意味がありません。例えば色合いに対して人が感じるイメージを定量的に可視化し提案根拠を色の会社であるDICさんがエビデンス付きで発信できるといいと思います。

吉次)色を調色することが当社の強みと考えると、これからは当社が責任を持ってやるべきだと思っています。人の心理や行動を科学的エビデンスに基づいて解明していくことで、人が彩り豊かに過ごせるような色空間を提案できると考えています。

今後の展望

吉次)今後の展望を教えてください。なかでも橋田先生が大切にしていることを教えていただけますでしょうか。

橋田教授)固定概念を持たず柔軟に考えることを大切にしています。また、感性工学を研究する上で、自分の感性を考えるというのは重要なことなので、ちょっとしたことでも気持ちが動くことがあったら記録するようにしています。感性工学を研究するためには、感性を言語化する必要がありますので、自分の感覚を記録するというのは、感性を鍛えるうえでも非常に重要です。

 また、コミュニケーションし伝え合うためには言語の表現力が必要なので、言語化するためいろいろな経験するのも大事です。

吉次)最後にこれからの暮らしや次のものづくりに期待されていることについてお願いします。

橋田教授)心地よい暮らしをするための形・色・素材を地球に害が出ないように作っていけたらいいと思います。自然の中で光・風・音などに触れながら五感を研ぎ澄ますような体験をして、ものづくりに活かしていきたいです。今後は自然素材やリサイクル素材のものづくりに関わっていきたいですね。

吉次)本日は興味深い話をありがとうございました。


プロフィール

橋田規子(はしだのりこ)

1988年東京芸術大学美術学部デザイン科インダストリアルデザイン専攻卒業。東陶機器株式会社(現在TOTO株式会社)入社後、生活者トレンド研究を経て、トイレ・キッチン・バスルームの製品デザインを担当。2008年に同社退社後、NORIKO HASHIDA DESIGN開設。2009年より芝浦工業大学 デザイン工学部 デザイン工学科 生産・プロダクトデザイン系 教授 博士(工学)。グッドデザイン賞審査委員(2009~)キッズデザイン賞審査員を歴任。Red Dot AwardやiF Awardなど受賞歴多数。2000年オーム社より「エモーショナルデザインの実践」を出版。

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